高柳健次郎賞 2023年受賞者
「ハイビジョン放送方式の研究開発および国際標準化への貢献」

西澤 台次氏
(日本放送協会 放送技術研究所 元所長 1942生)
[学 歴] 1965年 3月東京工業大学 理工学部電子工学科 卒業
[職 歴] 1965年 4月日本放送協会 入局
1982年 8月日本放送協会 放送技術研究所 新放送方式研究部 主任研究員
1988年 7月日本放送協会 放送技術研究所 テレビ方式研究部 部長
1990年 6月日本放送協会 放送技術研究所 次長
1994年 6月日本放送協会 放送技術研究所 研究主幹
1995年 6月日本放送協会 放送技術研究所 所長
1990年 6月国際電気通信連合 ITU-R WP11B 議長 ITU-R SG11 副議長
1999年 4月シャープ株式会社 入社 2001年6月 シャープ株式会社 取締役
2003年 6月シャープ株式会社 フェロー 西澤研究所 所長
● 主な受賞等
1985年放送文化基金 放送文化基金賞
1986年電子通信学会 論文賞
1991年日本ITU協会賞
1992年テレビジョン学会 丹羽高柳賞業績賞
1993年逓信協会 前島賞(発明・改良)
1994年情報通信月間推進協議会 情報通信功績賞
1996年テレビジョン学会 丹羽高柳賞著述賞
1998年郵政省 電波の日・情報通信月間 郵政大臣表彰
1998年ハイビジョン推進協会 ハイビジョン推進協会会長賞
1998年文部科学省 科学技術庁長官賞 研究功績者表彰
2000年放送文化基金 放送技術特別賞
2001年映像情報メディア学会 丹羽高柳賞功績賞
2003年Asia-Pacific Broadcasting Union Engineering
Excellence Award
2007年逓信協会 前島賞
2015年The Zworykin Award – The national award for
achievement in television technology
西澤台次氏らは、ハイビジョンが一般家庭の居間で視聴されることを基本条件として調査し、テレビを観る視距離、画面
の大きさと形、画面の明るさやコントラスト比などを定めた。視距離は、8 畳間での視聴を想定すると3m が上限と考えら
れたため、1。5~3m の範囲で変えて画面の大きさと臨場感との関係などの主観評価実験を行い、標準的な視距離を
2。5m に設定した。また、画面の高さ(H)で正規化した視距離は3H を標準とした。
西澤氏は、ハイビジョンの共通の方式による世界統一規格を実現すべく活動を開始した。1972年にCCIR(国際無線通信
諮問委員会:現在のITU-R)にハイビジョンの研究を行うよう提案し、1974年に承認された。1980 年代初めまで、
日本は研究の進捗状況をCCIR に報告し、1983 年にようやく規格化を審議する作業班が作られた。審議は、日本提案の
走査線数1125 本・フィールド周波数60Hz と、欧州提案の1250 本50Hz との間で合意が得られず難航した。
1990 年5 月のCCIR 総会で、各国が合意できる項目に絞って規定した勧告BT。709 が作られた。
その後、西澤氏は放送業務を担う研究委員会SG11の副議長に就任し、勧告の合意項目を増やすことに尽力し、1998年に
は有効走査線数1080、水平有効サンプル数1920、アスペクト比16:9 を統一規格とする勧告の改定が行われた。
2000年には、全走査線数を1125 で統一した勧告改定が行われ、ITU-R 勧告BT。709-4 として成立した。
電波を使ってハイビジョンの放送を実現するために開発されたアナログのMUSE 方式は、オフセットサブサンプリング技 術により信号帯域を圧縮するものであり、これによって12GHz 帯衛星放送の1チャンネルでハイビジョンの伝送が可能と なった。1985 年の筑波科学博では、MUSE 方式を用いたハイビジョン伝送実験が展示された。1989年6月には実験放 送が開始され、1991 年11 月からは試験放送、1994 年11 月からは実用化試験放送に格上げされ、一日10 時間の放送 がNHK と民放各社の分担で行われた。西澤氏はNHK 技研において、研究開発の中心であった研究部の部長、続いて NHK 技研の次長を歴任し、これらの実用化を先導した。MUSE 方式の受像機は1990年末から市販され、1999年末に は累計出荷台数が83 万台を超えた。
一方、1990 年代初頭から、デジタル放送方式の開発が世界中で活発になり、日本でも衛星でデジタル放送を開始する ことを決めた。西澤氏は1995 年からNHK 技研所長としてデジタル放送の研究開発を牽引し、NHKが提案したISDB-S 方式を用いたデジタルハイビジョン放送は2000年12月に開始された。デジタル技術の進歩は地上波放送にも及び、NHK は1 チャンネルでハイビジョン1番組を放送できるISDB-T方式を開発した。地上デジタルハイビジョン放送は2003年から 開始された。
以上のように、西澤氏はハイビジョンの放送実現という高い目標を掲げ果敢かつ地道に研究開発や標準化に取り組んだ。 その結果、ハイビジョンはデジタル放送を始めとする汎用的な方式として放送以外でも幅広く利用されることとなり、西澤氏 の貢献は世界的な映像産業の発展に大きな成果をもたらした。